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FUKUI MUSEUMS [福井ミュージアムズ]

よもやま話Yomoyama talk

一乗谷の大工道具に見る技術

一乗谷朝倉氏遺跡で復原されている建物の柱には、2種類の表面仕上げがあります。ひとつは釿で加工された波紋状の凹凸があるもの、もうひとつは台鉋で加工された表面が平滑なものです。釿は、法隆寺の建築部材にその刃痕を残すように、古代には既に使われていた大工道具で、鋤に似た形をした斧の一種です。一方、台鉋は、大坂城跡で出土しているように、中世に初めて登場した大工道具で、刃を組み込んだ四角形の木製の台をスライドさせて、木材の表面を薄く削り取ります。一乗谷の発掘では、建築部材が数は少ないながらも見つかっていますが、建物の柱には釿と台鉋の刃痕が残されていました。この事から、建物の復原にあたっては単なる建物の形の再現にとどまらず、当時の大工道具を用いた技術・技法の再現が試みられています。大工道具の歴史から言うと、こうした釿に代表される日本古来の加工技術と、台鉋に代表される近世以降主流となる加工技術の併存は、一乗谷朝倉氏遺跡を特徴づけるものといえます。

一乗谷が栄えた15~16世紀は、木材の加工技術において打割製材から大鋸挽製材へという大きな技術革新が起こった時代でした。日本では石器時代から、鑿や楔などの道具を打ち込んで丸太を割る製材(打割製材)が行われてきましたが、15世紀頃に2人で使う大鋸が大陸から伝来し、それ以降、大鋸を挽いて丸太を割る製材(大鋸挽製材)が製材方法の主流となりました。

一乗谷では先に述べた表面を加工する新旧の大工道具だけではなく、こうした新旧の製材方法の使用が伺われる遺物も出土しています。そのひとつが両刃鑿です。現代の片刃鑿と違い、表裏に刃が研がれている両刃鑿は、刃先の断面でみると、二等辺三角形の形をしているため、木材に対して左右に開く力が働きます。このため、両刃鑿は木材を打ち割るのに適した道具であり、打割製材が行われていた事を物語るものと言えます。また、明瞭な縦挽鋸の刃疸を残す板材の出土も注目されます。鋸は木材を翰切りにする横挽と、木材を木目に沿って切る縦挽がありますが、大鋸は縦挽を可能にした道具です。この板材の出土から、一乗谷で大鋸挽製材が行われていたことが伺えます。

大工道具の歴史では、両刃鑿は大鋸の登場でやがて姿を消すことになります。両刃鑿を使った打割製材では、割った面が炸裂した状態であり、仕上げる際に多量の木片屑が生じますが、大鋸を使った挽製材で生じるのは文字通り「オガクズ」だけであり、木材の損失が少なく、資源の有効利用が可能となりました。

近世以降主流となる台鉋や大鋸挽製材の痕跡は、一乗谷で出土している柱や礎石に残る番付や、6.2尺を基本とした平面計画、畳の普及などとあわせて一乗谷の建築技術の水準の高さを示すものといえるでしょう。一乗谷朝倉氏遺跡で再現されている復原町並では、こうした当時の建築技術を知る事もできるのです。