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FUKUI MUSEUMS [福井ミュージアムズ]

よもやま話Yomoyama talk

一乗谷の石製品

一乗谷を発掘調査すると、土器・陶磁器などの遺物とともに多様な石製品が多数出土します。石材の多くは福井市足羽山で産出する笏谷石です。この石は凝灰岩の一種で、色が青緑と美しく、質も柔らかく加工が容易なうえ、耐火性にも優れています。そのため戦国期以降に需要が増し、一乗谷では石造物や井戸枠、暖房具であるバンドコ、風炉や火鉢など多様な生活用品に用いられました。一方で、臼類、特に茶臼は花崗岩質が多いようです。なかには中国製品を含むとの指摘もありますが、足羽川上流で産出する花崗砂岩の小和清水石も含まれます。小和清水石は、灰色を基調として細かな石英を多く含みます。なお、小和清水は福井藩編纂の「越藩拾遺録」に、「臼石 小和清水村ヨリ出、金喰卜云荒砥モ出」とあり、江戸時代には石臼の産地であったことは明らかで、一乗谷と時期が重なる寺院跡の福井市法土寺遺跡や永平寺町諏訪間興行寺遺跡のほか、福井市中角遺跡からも出土しています。ちなみに「越前国城蹟考」に「小和清水村 赤渕明神弟、乎波知君旧蹟」とあり、『越前国名蹟考』には、村から三町程の西の山頂に朝倉家譜代家臣前波氏一族の前波藤五郎屋敷があったと伝わります。今後は石材の違いにも注目して調査・研究を行う必要があります。

  • 一乗谷出土品

  • 小和清水石

未使用の浄教寺砥石

砥石(左から荒砥、中砥、仕上げ砥石)

砥石とはご存知のとおり刃物を研ぐ道具で、相次ぐ戦いで用いる武具などの生産や機能の保持には欠かせないものです。一乗谷からも多数出土しており、その種類は砂岩質の荒砥、凝灰岩質の中砥、泥岩質・頁岩質の仕上げ砥があり、荒砥から順に石の表面が徐々に滑らかになっていきます。なお、荒砥は、刃物生産に関わる専門職が用いることが多いため、多く出土するのは中砥と仕上げ砥です。特に中砥は職種や階層を問わずに、日常品や農耕・漁労具にも用いられるため最も需要の多いものです。
一乗谷では谷の奥、浄教寺の砥山(標高465 m)で産出する石材の中砥が認められます。この石材は凝灰岩に分類されます。石質・石臼は詰まっていますが質感は軽めで、縞模様の淡い褐色のものに鉄分の線を認めるものや、灰色の硬質なものがあります。更によくみると黒斑の粒子や石英も確認できます。第44次発掘調査では、同じ特徴を持つ未使用品が出土しており、表面には石を切り出し加工した時の鑿の痕が残っています。大きさは28cm x 13cm、21cm x 12cm程で、流通段階の大きさも推測できます。また、この砥石は江戸時代に越前の産物となったようで、全国古今の産物を記した寛永15年(1638)成立の俳諧書である「毛吹草」にも「浄慶寺砥」の名が見えます。また、正徳2年(1712)成立の類書である「和漢三才図会」では、刀剣の砥石として「越前浄慶寺村の砥石」が全国で三番目の評価が与えられたように、全国的にも優れた産地として知られたようです。現地には山を露天掘りで切り崩した幅100 m程の採掘場がそびえますが、採石がいつから始まったかは明確ではありません。今後の調査の進展で、その実態が徐々に明らかになるでしょう。最後に仕上げ砥に着目すると極めて良質の石材を用いたものを認めます。第43次発掘調査(1982年)出土品が一例で、鳴滝砥とされる京都府京都市右京区北西の愛宕山を中心とする山城・丹波産のものです。このように荒砥も含めて多くの中砥以外は他所から搬入されたと思われます。こうした砥石を用いて伝世品にみる「越前一乗住兼則」銘の刀や、第43次発掘調査出土の「兼則」銘の小柄が鍛冶師や研師の手で作られたことでしょう。求心力を持つ中世都市・一乗谷の一端が窺えます。

〈参考文献〉
「福井市史通史揚2近肚」 福井市 2008年
「福井県の地名 日本歴史地名体系18」 平凡杜1981年

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