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みなさんはどのくらい福井県の歴史や文化のことを知っていますか? ランダムで出題される5問のクイズに答えて、「福井県歴史文化マスター」を目指そう!
これは福井県出身の写真家、土田ヒロミの作品 「新・砂を数える「横浜」」です。 この作品を撮影した後、作者の土田ヒロミは一つあるものを加えて完成させました。それは何でしょうか?
文献史料で、越前国の人は古くから一乗谷を「一乗」と呼んでおり、「一乗谷」と記すようになるのは城下町が北ノ庄へ移ってから以後のことです。では、中世の越前国の人は「出谷(しゅっこく)」とよくいったり書いたりしていますが、どういう意味でしょう?
海に面し、奈良や京の都にも近かった若狭地域は、古代より都と大陸を結ぶ海の玄関口としての役割をもち、様々な物や文化が行き交う場所でした。では、若狭から都に運ばれ、都の人びとの生活を支えていたものは何でしょう?
今からおよそ6000年前(縄文時代前期)の人びとの生活がわかる鳥浜貝塚(若狭町鳥浜)は、当時の日本にはないと思われていた貴重で、珍しいものが出土したため、全国的に有名な遺跡です。それは、現代でも作る人が限られる難しい高い技術が必要なものですが、いったい何が出土したのでしょうか?
これは、江戸時代に福井城下で行われていた「馬威(うまおどし)」という行事を描いた屏風です。この屏風のなかに、何頭の馬が描かれているでしょうか?