よもやま話Yomoyama talk
華南三彩 花樹紋盤
16世紀から17世紀は日本が中世から近世に移行する大変革の時期、工芸とりわけ陶磁器は大きな発展を遂げ、桃山陶磁に代表される華やかな時期を迎えました。そんな時代の息吹を感じさせる逸品を紹介します。
華南三彩は中国南方で焼かれたものです。また、製品の積み出し港名から「交趾三彩」とも呼ばれます。資料は口径29.6cm ×高さ6.4cmの盤(大皿)です。口縁を鍔(つば)状に外反させ、端部は輪花形に切り、底面は高台を刻まず板状です。明灰色系の胎生を用い、内面には花樹紋を手早い筆致で線刻しています。釉の発色をよくするため白土を下地塗りし、内外面全体に緑釉を掛け、口縁・紋様部に黄・茶色釉を掛けていますが、底部は露胎(無釉)です。口縁及び体部に4ヵ所に割れ・ヒビの補修がありますが、ほぼ完全な姿を留めています。
底面を無釉で板状とするのは盤のなかでは古い形態を示すことから製作時期は、16世紀後半と考えられます。
華南三彩は、そのデザイン・色調等日本の陶磁器に多大な影響を与えました。まず器の口縁部分を見てみましょう。周囲に鍔状の部分を持ち、鍔の先端は花形に切られ、極めて装飾的です。呉須手(漳州窯系)の大皿では段を付け、外反させたデザインが多くみられます。また、景徳鎮系の鉢類で口縁を鍔状とし、先端を花形に切ったいわゆる兜鉢とも共通します。この装飾的で粋なデザインを最初に取り込んだ日本の陶器として美濃製の「黄瀬戸」があげられます。鍔状の口縁の他、文様を線刻や印で描くことや、線刻文様部分に別色の釉薬を掛ける(タンパン)手法など華南三彩との共通点を見いだすことができます。また、華南三彩の鮮やかな緑色から思い出される日本の陶器として、「織部焼」が挙げられます。織部焼には緑釉と白抜き部分を効果的にデザインする「青織部」のほか、全体に緑釉一色の「総織部」では、鍔状の口縁や線刻文様など華南三彩そっくりなデザインもみられます。さらに、時代は若干下がりますが、古九谷様式の緑色も「緑大好き」な当時の日本人共通の志向だったのかも知れません。
ところで、わびの極地といわれる「楽焼」と華南三彩との関係を御存知でしょうか?実は、楽焼初代長次郎は交趾焼の職人という説があります。広義の楽焼といえる「軟質施釉陶器」は緑・黄・黒の各色や、透明釉で胎土の赤や白も取り込み、多彩さを武器としました。これらの色は華南三彩とも共通します。このうち黒と赤(透明釉)に特化したのが「楽焼」といえるでしょう。しかし、長次郎の作例には華南三彩を写した「三彩瓜紋平鉢」(東京国立博物館蔵)が知られており、天正2年(1574)銘「獅子瓦」(楽美術館蔵)を含め、「色」の焼き物が本来であったことをうかがわせます。
華南三彩盤の普及状況を考古学成果に求めると、京・大坂をはじめ各地の織豊期の都市遺跡から出土しており、人気の高さが伺えます。しかし、越前随一の都市・福井城跡(北庄城跡)では現在のところみつかっていません。
華麗な桃山の陶芸界で重要な位置を占める華南三彩。本品はその典型作例として、貴重な資料といえるでしょう。