よもやま話Yomoyama talk
昭和戦前期の敦賀町写真綴り
本資料は、「敦賀町全景」をはじめとする83枚の写真が綴られたもので、表紙に「市制施行二関スル上申書添付写真」と書かれています。
敦賀町は、昭和12年(1937)4月1日に、松原村を合併し、県内では福井市についで2番目の市となったところです。表題にあるように、敦賀町が市制施行を内務省に上申した際の添付書類として作成されたのがこの写真綴りです。このことから、これらの写真は昭和11~12年ころに撮影されたものと思われます。内訳は、敦賀町役場など官公舎建物19枚、敦賀駅や郵便局など交通通信施設9枚、敦賀港桟橋など港湾関係施設12枚、敦賀商業高等学校など学校関係10枚、東洋紡績敦賀工場など企業関係6枚、気比神宮など寺社関係12枚、気比松原など名所旧跡4枚、敦賀駅前通りなど町の景観11枚です。
この時期の敦賀町に関する写真は、これまでに敦賀市が発刊した『市制50周年記念写真集 ふるさと敦賀の回想』(昭和62年刊)や当館が所蔵する写真絵葉書などから確認されていますが、ここに綴られた写真は、それらと同一のものは1枚もありません。もちろん、建物や風景は同じものですが、撮影角度が異なっています。そういう意味では、すべて新たに確認された写真といえます。
この時期の敦賀港は、第一次世界大戦を契機として対岸貿易が盛んになり、昭和7年には第二次港湾イ彦築工事も完成し、国際貿易港として発展を遂げていました。この写真綴りにも、敦賀港に関連する写真が数多くみられます。大型貨物船が停泊している桟橋や新岸壁、輸出入貨物を保管する町営の倉庫群、敦賀税関支署や検疫所・家畜検査所などの港湾施設、また、昭和8年に移転新築されたソビエト敦賀領事館の写真も含まれています。さらに、敦賀港新岸壁に連絡する臨港引込線の敦賀港駅や敦賀新港駅の駅舎写真などもあり、港湾都市として栄えた当時の敦賀の姿をビジュアルに知ることができます。
近年、こうしたいわゆる古写真が多様な情報を提供してくれる歴史資料として、歴史・民俗・社会・建築などの様々な分野での利用価値が認められて、県内でも多くの機関で古写真のデジタルデータ保存が進められています。当館でも、写真資料を地域の歴史を伝える貴重な歴史資料として、今後も調査・収集を継続していきたいと考えます。現在の敦賀市街には、戦前期にあった建物の多くが昭和20年の空襲で焼失したため、現存するものはほとんどありません。往時の敦賀市街を再現する上では、これまでに確認された写真に加えて、これらの写真が貴重な資料となります。