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FUKUI MUSEUMS [福井ミュージアムズ]

よもやま話Yomoyama talk

コラム 楷文「勝以」印の使用期間について

一人の作家が、何時、どのような作品を制作したかを知ることは、その作家の表現の変遷や、特徴を探る上で極めて大切なことで、作家・作品研究のなかでも最重要視される部分です。近代以降の作家の場合ですと、展覧会の出品歴に始まる様々な記録や資料があり、また作品や箱に制作年代などが記されることもあって、比較的容易に把握することができます。しかし、古い時代になると、ほとんどの作家が地位の低いこともあり、記録のあること自体まれで、制作年代を示すものが残されることも少ないといえます。そのため、学芸員としては、現場に残された遺留品から犯人を突き止める警察官と同じように、作風や落款印章など、作品に残された様々な要素から、制作年代を掴むことに苦心せざるを得ません。

岩佐又兵衛(1578〜1650)はその典型で、今に残される作品の多さや素晴らしさに比べ、活動を示す当時の記録はほとんど存在しません。また制作年代も現在判明しているのは、寛永17年(1640)、又兵衛63歳の時の作である「三十六歌仙図額」(埼玉・仙波東照宮蔵)一点のみです。そのため、又兵衛研究では、作品に捺される印章と作風の分類による作品編年が主要テーマの一つとなっています。

又兵衛の印は現在分かっているだけで6種類が確認され、その組み合わせによって、おおよその時代区分がなされています。そのうち楷書で「勝以」と刻んだ円い印章を捺した一群があります(図版1)。この印は「道」と読まれる小さな印と共に使用され、当館所蔵品の「和漢故事説話図」(図版2)にも見られます。これまでの研究によって、又兵衛福井在住時代(1616頃〜1637)のうち、松平忠昌が第三代福井藩主となる寛永元年(1624)から使用されたものと考えられています。しかしその下限については、又兵衛が江戸へ移る寛永14年(1637)以前までとされるだけで判然としません。

  • [図版1] 岩佐又兵衛勝以「和漢故事説話図 普武帝象車遊宴」

  • [図版2]

しかし、それを知る手掛かりとなりうる作品はあります。『伊勢物語』の主人公で歌人でもある平安時代の人物在原業平を描いた「在原業平図」(出光美術館蔵)がそれです。歌仙図は又兵衛が得意とする画題の一つですが、本図はなかでも立ち姿を描いた数少ない作品です。画中には前述の勝以印が捺され、上部には筆者不明の人物による業平の歌が書かれていますが、実はその歌の筆跡が江戸時代初期の公卿・烏丸光広のものに近似しているのです。もしこれが真に光広自筆によるものだとすれば、光広没年の寛永15年(1638)までは、この印を使用していた可能性があるということになります。さらに、この書を光広がいつ頃書いたものかということも解明できれば、時代をもっと絞り込むことができます。そうなれば、本図の位置づけが一層明確化し、ひいてはこの時代の又兵衛作品の変遷をもっと深く知ることができることになるでしょう。そのためには書の専門家を交えた研究が必要であり、これからの検討課題としたいと思っています。

(福井県立美術館 学芸員 戸田浩之)
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