よもやま話Yomoyama talk
漆塗盆
法量 | 縦242mm×横242mm×高20mm |
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製作時期 | 昭和18年(1943)ごろか |
製作地 | 鯖江市河和田 |
表面 | 軍用機図案。 胴体部に「愛国1591(酒伊)」裏面:「越前塗」 |
この盆は、平成22年に当館に寄贈された漆器盆です。表面には軍用機が描かれ、裏面には「越前塗」と記されています。
まず、表面の図案から見てみます。軍用機の翼には日の丸、胴体尾部には「愛国1591 (酒伊)」とあります。これは、日中戦争から太平洋戦争中に民間企業や個人による献金で製造され、陸軍に献納された軍用機(「献納機」)です。献納順に「愛国○○号(□□)」(○○は通番、□□は献納者名)と命名されました(海軍は「報国号」)。最初の献納機は昭和7年(1932)1月の「あいこく1号」でした。その後、戦争の激化にともなってさかんに献納が行われ、昭和20年までに、愛国号、報国号ともに通番は数千に達したとされます。
ちなみに、福井県内からの最初の献納機は、昭和7年4月の「愛国14号(若越)」です。一般県民からの寄付による献納でした。献金は難航し、最終的には企業家による大口の寄付によって計8万円の予定額を満たすことになりました。献納は、その後も「丹生号」「小浜号」のようにより狭い地域で寄付金を募ってつづけられたほか、企業や資産家による献納も行われました。たとえば、献納記念絵はがき(献納の記念に陸軍省が製作)には、「山甚」と記された機体が写っているものもあります。ちなみに山甚は、江戸期から蚊帳の製造で知られる山甚産業株式会社の前身、「山甚商店」のことです。
今回の資料に戻りましょう。描かれている図案から、この盆の製作時期や製作意図がみえてきます。まず、「愛国1591 (酒伊)」という文言から、この機体は酒伊繊維工業株式会社(昭和18年に酒伊通信工業株式会社に改称。現、サカイオーペックス)によって献納されたものと分かります。サカイオーベックスにはこの機体の献納記念写真が残されています。大阪や東京の例では1500~1600番台は昭和18年の献納機につけられた番号であることから、この献納も同じく昭和18年でしょう。つまり、この資料は、軍用機の献納記念に酒伊繊維工業またはその関係者によって、昭和18年ごろに発注されたと考えられます。
さらに、実際の製作者についても資料に手がかりがあります。裏面の「越前塗」という印です。これは、鯖江市河和田で漆器類の製造・卸を行っていた小林氏が用いたものと分かりました。さらに、小林氏から漆器作りを請け負ってこの盆を実際に製作したのは、同じく河和田の高島吉郎氏です(情報提供:戦時資料研究家 萩谷茂行氏)。残念ながらご本人は他界されていますが、ご子息の政次郎氏によれば、この盆の絵型が残されていたそうです。しかし、当時の資料は火災によって大部分が焼失し、わずかに国内外の軍用機が掲載された新聞の
切り抜きが残されるのみです。軍関係の製品の参考としてスクラップされたものかもしれません。ただ、同種の「越前塗」の印(本資料に用いられたものとは異なる)は現存しています。
本資料は、戦争遂行のために重工業以外の産業が「平和産業」として機械の供出や転業を余儀なくされた時期の製品として、たいへん貴重なものといえます。