よもやま話Yomoyama talk
カモの投げ網
写真は、長さが3メートル80センチ、幅が3メートル50センチという大きな網です。いえいえ、魚をすくう網ではありません。これは鳥のカモをつかまえるのに使った投げ網というものです。
この網を使っていた場所は、いま県立大学小浜キャンパスがある、鳥越山(とりごえやま)と呼ばれた山の上です。1965年ごろまで、この網を使ったカモ猟が、冬になると行われていました。この場所でのカモ猟は、江戸時代にはすでに行われていたことが記録に残っています。
鳥越山の東の小浜市国富地区には、シルタと呼ばれた湿田が広がっていました。夜行性のカモは、昼間は小浜湾の静かな水面で休息していて、夕方になると鳥越山を越えて国富の湿田へ移動しました。湿田には、稲刈りの時にこぼれた籾や、水草、藻、それにタニシなど、カモの餌になるものが多かったからです。
カモは山の尾根などを越していくとき、低く飛ぶ習性をもっています。それを網を構えてかがんで待ち伏せ、カモが頭上を通過する瞬間をねらって投げ上げました。
うまくカモがかかると、網の下の部分が柄からはずれ、袋のようになってカモにからまる仕掛けになっています。捕ったカモの種類はマガモとカルガモが主で、コガモやハジロガモなども少し捕れたということです。
この投げ網以外にも、谷いっぱいに大きな網を広げる谷切り網や、湿田に網を張って行うタンボアミなどのカモ猟がありました。しかし、土地改良により湿田が乾田化されるとカモが来なくなり、鳥越山周辺でのカモ猟は行われなくなりました。
国富地区には1966年までコウノトリがすんでいたことが知られています。稲作には能率の悪い湿田の環境でしたが、多くの生き物をはぐくんでいたのです。そして、人間もその恵みを受けて生活していたという側面があったことを、この投げ網は教えてくれます。