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FUKUI MUSEUMS [福井ミュージアムズ]

よもやま話Yomoyama talk

コラム「若き日の島田墨仙」

島田墨仙という福井出身の日本画家がいる。枯淡な画風で歴史人物画をよくし、古武士のような品格と熱烈な勤王精神を併せ持っていた。派手さのない画風であったことと、これからという円熟期に亡くなったためその名を知る人は少なくなってきているが、福井が生んだ忘れえざる人だ。
幼少から父雪谷に円山・四条派を学び、やがて横山大観や菱田春草を育てた教育者としての手腕が名高い橋本雅邦の門下に入る。それは明治28年(1895)、第四回内国勧業博に出品された橋本雅邦の《龍虎図屏風》(静嘉堂文庫蔵)の新聞写真に衝撃を受けての行動であると言われるが、これは一時の衝動に突き動かされたものではなく、そこにいたるまでには一筋縄でいかない曲折を経ていた。まるで痛みを伴う枝打ちを繰り返していくなかで、一本の真っ直ぐで大きな木を育てるように。

墨仙は子どもの頃から絵を習ってはいたものの、武士の家に生まれたからには軍人になろう、だから勉強はしなくていいとたかをくくり遊んでばかりいたようだ。そのため父の雪谷からは2人の人物を引き合いにして叱られた。一人は家の隣に住んでいたという幕末の志士、橋本左内。もう一人は父雪谷に絵を習いに来ていた表具屋の息子、山本六松。橋本左内に関しては素直に心服したのだが、山本六松となるといささか状況が違ってくる。父雪谷に「表具屋の息子が、あんなに勉強もし、よく絵も描くのに、お前は武士の家に生まれながら遊び暮らし表具屋にも劣るではないか。」などと言われると全く面白くなかっただろうし、ましてや六松が東京の美術学校へ入ったらしいという話は、燻る競争心に火をつけるには充分すぎるほどだった。

「六松がやるんなら自分にも出来ない事はない。」とはやる心を抑えかね、墨仙は明治19~21年頃、美術学校入学のため東京小石川植物園にある図画取調掛(東京美術学校の前身)へ岡倉天心を訪ねた。しかし天心は留守な上、美術学校はまだ開校していなかったのだが、そこで対応してくれたのはなんと近代日本画の巨匠、狩野芳崖であった。墨仙は東京に出たら美術学校に入るか、もしくは芳崖に入門したいと願っていたが、国を出た六松が芳崖の門人になっているという衝撃の事実はすべての予定を狂わせた。後から入門して「経師屋の六松ごときに先輩顔されることは、どう考へても私には残念だったので」芳崖の門人になることを諦めるくだりは、当時の強烈な身分意識を覗き見するようで興味深い。ようやく会えた岡倉天心からも、美術学校開校まで国へ帰って待つように言われ、望みを捨てて郷里へ戻った。

しかし両親を早くに亡くし、二人の妹を嫁がせるまで働きづめだった墨仙がふたたび東京へ上京できたのは《龍虎図屏風》に出会った次の年、明治29年(1954)である。すでに30歳であり、10代後半から20代後半までの学びの適齢期を逃したことは本人もよく分かっていた。だからこそまっすぐに雅邦の門を叩かずに誰に師事すべきかを慎重に考えたようだ。

そのころの墨仙にとって展覧会で観る雅邦の絵は高尚で立派なものであったが、小さいときから習い覚えた円山・四条派のほうが馴染み深く川端玉章の方がよく見えた。兄雪湖の友人寺崎廣業と山口瑞雨に相談すると、廣業は「金を得るには玉章先生もいいが、何処までもいい絵を描いてゆこうと云うのなら雅邦先生に就いた方がいい。君は地方から出て来て金が必要だろうから早く金を儲ける為には玉章先生の門人になった方がいいだろう」と提案した。

雅邦も玉章もともに東京美術学校で教鞭をとり多くの俊英を輩出したすぐれた教育者だが、われらが墨仙の道を決める際の指針はやはり六松にあった。ただしこのときの決断は勝ち負けを超えたある種妥協のない武士の美学があった。

「自分は第一に修行に出て来たのだし、兎に角山本六松より上に出なければいけない。それには金は第二だ、雅邦先生に入門しよう」。墨仙は同時に30歳も過ぎてからすでに頭に染み付いている円山・四条派の枠から出るという困難な道を選び取ったわけだ。

時を同じくして入門してきたのは、墨仙同様、雅邦の《龍虎図屏風》に感動し一大決心で京都からやってきた21歳の川合玉堂。四条派の師幸野楳嶺を亡くしての新たな挑戦である。墨仙はこのような柔軟で可能性のある若手とともに修行を積むようになるのだった。

※「」内はすべてアトリエ8.8 思ひ出を聴く「雅邦先生の門に入るまで」島田墨仙 アトリエ社 昭和6年8月より

(福井県立美術館 学芸員 佐々木美帆)
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