よもやま話Yomoyama talk
サックリについて
1993年の春、サンフランシスコ・アート・フォーク・ミュージアムのダイ・ウィリアムスという方が私を訪ねてこられました。氏は当時、サックリという仕事着に注目し、日本各地を調査して歩いておられました。また1994年春には、アメリカで、サックリを紹介する展覧会「RICHES FROM RAGS」を開催しています。氏の訪問は、私が以前、敦賀市とその周辺のサックリを調査し報告したことがあったためでした。
ところで、サックリとは、古くなった木綿の布を細く裂き、それを緯糸の代わりに織り込んだ織物で仕立てたものです。家族のために女たちが機織りをし、仕立てました。皆さんのなかにも、あの分厚くごっつい感じの仕事着のことをご存じの方は多いことと思いますが、普通の木綿や麻の布で仕立てたものに比べて、丈夫で暖かく水にも強いため、仕事着に適していました。若狭でもサックリはひろく使用されてきました。小浜市や上中町ではシャックリと呼ぶところが多いようです。
サックリのように、緯糸に細く裂いた古木綿布を使った織物のことを裂き織りといいます。裂き織りは、民俗学や民具学の分野において注目され、調査研究がすすめられてきました。裂き織りの仕事着は東北地方や佐渡、能登、丹後、隠岐など、おもに日本海沿岸を中心に分布していることから、木綿栽培のできない寒冷地において貴重な木綿布を再利用する技術として始まったものと考えられています。そして、これをサックリ、サクリ、サコリ、サッキョリなどと呼ぶところが多いことから、その語源が裂き織りにあると考えられてきました。
福井県内でもサックリと呼ばれる仕事着はひろく使用されてきましたが、残念ながらまだじゅうぶんに調査されていません。とくに嶺北地方のサックリのほとんどは裂き織りではなく、緯糸に麻糸や木綿糸を使ったもののようで、単純にサックリ=裂き織りとはいかないようです。
サックリはこのように学問的に注目されているだけでなく、好事家の収集対象にもなってきたという一面があります。サックリを持っているお宅には、よく古道具商などがやってきたそうです。サックリのもつ、いかにも昔の手仕事という感じが、「民芸趣味」の人びとに好まれたのでしょうか。30~40年前には、サックリが買い漁られた時期がありました。映画の小道具用として買われていくことも多かったようです。わたしの祖母(小浜市新保)のもとにも、よく「シャックリ買い」が来ていたといいます。
もちろんダイ氏の訪問の目的は、こうしたサックリの“蒐集”ではありません。氏は、「文化人類学的に」サックリを調べていると言われました。サックリそのものだけでなく、サックリを使用していた当時の人びとの生活、サックリを織っていた女たちの労働といった背景のなかでサックリをとらえたいということでした。ダイ氏の視点は、地域の生活文化を理解するための資料として民俗資料の調査収集・展示をおこなう博物館の目的に通じるものです。
1993年12月、ダイ氏の2度目の訪問の時には、小浜市田烏へ同行しました。魚の行商をしていた頃にサックリを着ていたという明治40年代生まれの3人のおばあさんに、その当時の服装になってもらい写真を撮らせてもらいました。また、行商のこと、サックリは嫁入り道具として必ず何着か持っていったものであること、男たちがタチマイ(建前)に呼ばれていくときにはサックリを着ていったこと等々、サックリをめぐっていろいろなお話をうかがうことができました。
彼女たちが主婦となった時代には、サックリを織ることはなくなっていたようです。しかし彼女らは、母親がたいへん手間のかかる機織りをして嫁入りにもたせてくれたサックリを大切にしていました。つらかった行商の日々の記念の品でもあり、かんたんに手放す気にはなれないということでした。
サックリという古びた一枚の仕事着からでも、わたしたちはいろいろなことを学ぶことができます。こうした身近な民俗資料の価値をあらためて認識した一日でした。